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真伝無外流居合兵道―塩川寶祥の武芸極意書
真伝無外流居合兵道―塩川寶祥の武芸極意書 (JUGEMレビュー »)
塩川 寶祥照成,岡崎 寶祥寛人,無外流居合道連盟
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井伊大老は居合の達人だったのに
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     11月から色々追われ”師範徒然草”もご無沙汰でした。
    今日は今年始めてなので”読み物”でお読み下さる方々へ
    お年賀とします。
     さて、尊皇攘夷たけなわとなった幕末、幕閣の心胆を
    寒からしめたのが時の大老井伊直弼が討たれた桜田門外
    の変だった。井伊大老は政治家としては色々な話題にも
    乗るが、武術家としても一流だったのは知られていない。

     彼は彦根藩井伊家の嫡男ではなく、部屋住みの身分で
    藩主になれる見込みは全くなく、”居合道”で一派を立て
    ようと修行に励んでいたという。
    「新心流」という関口弥六右衛門柔心が創始した柔術の
    主流、”関口流”の別称で、その師範である彦根藩士河西
    精八郎の指導を受け殿様芸を脱しており、31歳の弘化
    3年(1846)には「新心新流」という流派を立て弟子
    免許状を授与していたという。

     武術に専念できていたのは32歳までで、36歳のとき
    には彦根藩主を継ぐことになり、居合の道からは離れる
    ことになってしまった。そのまま居合道の宗家を守って
    いたら、桜田門外の変で命を落とすことも無かったろう
    と思われ、人の運命とはわからないものである。

     ではこれほどの腕を持ちながら、18名の浪士たちに
    襲われたとはいえ、駕籠から出て戦わなかったのだろう?
    屋敷近くだったし、120余名の警護に守られていたとい
    うので安心しきっていたのだろうか?
     折から降り出した大雪に警護の士たちは菅笠、合羽に
    身を固め、刀には柄袋をかけていて最後まで刀さえ抜か
    なかった士が大勢いたという。

     記録によると、事件後彦根藩藩医が井伊直弼の遺骸を
    検死した結果大腿部から腰に貫通銃創があり、このため
    駕籠に座ったまま抜け出せずにいるところを、襲撃浪士
    たちにめった刺しにされて落命、薩摩脱藩藩士の有村治
    左衛門に易々と首を討たれてしまったようだ。
     降りしきる大雪の中で、相手も定かではない乱戦の中
    剣豪小説や時代小説のようにはいかず、刀を振り回し、
    斬るというより叩き合う乱戦だったという。
     
     現代では居合、剣術を稽古していても、万が一にも斬
    り合うことはありえないが、この話に刺激された訳では
    ないけれど、今年は無外流太刀打だけではなく、他流儀
    の剣術を少し多く稽古してみようと考えている。
    (この項話の拠り所は「日本剣豪秘史」(渡辺 誠著)
    による)
    | - | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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