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武士道もろもろ
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     終戦記念日も終わり日が経つが、ある本を読んでいて思い出した
    ことがある。”武士道”について書きたいのだが、本論にはいる前に
    それにからむ薀蓄(うんちく)を少々お付き合いいただきたい。

     軍歌好きの年配者や戦前派はお判りだろうが、”海ゆかば〜”と
    いう哀切な国民軍歌として一世を風靡した歌がある。
    これは昭和12年、信時潔作曲の歌だが、戦時ムード高まっていた
    とはいえ、まだ第一次世界大戦前(開戦は昭和14年9月)だった
    から発禁にはならなかったが、その哀切溢れる歌詞から察すると、
    軍部に認められなかったかもしれないが、戦時中も国民軍歌として
    大ヒットしたのをご存知の方も多いだろうと思うが、若い人達は全く
    知らんというかもしれない。

     この歌詞 「海ゆかば水漬く屍、山行かば草生す屍、
              大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじ〜」 と続くが、
    元は万葉集の編纂者といわれ、歌人としても知られる大伴家持の
    「陸奥の国より黄金を出せると賀(ことほ)ぐ詔書(聖武天皇の)歌」
    という長歌の中程にある一節。
     三十六歌仙の一人大伴家持は、繊細で感傷的な歌風が持ち味
    なのだが、結構武バッタ 歌を詠んでいる。少し紹介すると、
    「剣太刀いよよ研ぐべし古(いにしへ)ゆ さやけく来にしその名ぞ」
     (昔から高潔な一族としてその名を背負ってきた名なのだから)
    「ますらおは名をしたつべし後の世に 闇を継ぐ人も語り継ぐがね」
           (後の世に聞いた人々も更に語り継いでくれるだろう)    

     なぜ急にこんなことを書く気になったかというと、”海ゆかば〜”
    から久しぶりに”武士道”がらみの諸々を書いてみる気になった訳

     大道寺友山の「武道初心集」(享保年間、山本常朝の「葉隠」と
    同時期の著)によると、
     「武士たらんものは、正月元旦の朝、雑煮の餅を祝ふとて箸を
    取り初むるより、その年の大晦日に至るまで、日々夜々死を常に
    心にあつるを以て本意の第一とは仕るにて候」 といい、
     「その身武士として腰に刀剣を帯びるからは、即時の間も勝負
    の気を忘るべき様はこれ無し」(以下略)として、腰に刀を差しては
    いても、常に勝負の気を持てない者は、武士の皮をかぶった町人、
    百姓とかわらぬと喝破している。

     「名将言行録」(岡谷繁美著)では「士の道は寝ても覚めても、
    時の間も忘れず油断せぬが能きぞ。明け暮れに触れて腰に差す
    刀さへも、油断すれば錆が付くなり」 とその心構えを諭している。
     
     それだけではなく、武士の心得としてさらに奥ゆかしさも忘れて
    はならないと説くのが「武家拾要記」(山本屠龍軒)
     「戦場にて傍輩(戦友)討死したるときは、敵のかた(肩)を枕に
    なし、うつぶせて置くべし。然らずんばまた、味方の方を枕となし
    あおのけて置くべし」と書かれている。少し解説すると、敵と戦い
    討死したが単なる討死ではなくて、相手も倒した証拠として。
     または、敵の屍が無く味方の屍だけのときは、味方を庇い討死
    した証拠として味方を下にあおを向けるとその心得を説いている。

     武士道とは、難しくさりとて奥深いものですねえ。
    | - | 11:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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