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抜刀術(居合の祖)林崎甚助重信の真実
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     前回御紹介した林崎甚助重信を題材にした小説”神速の剣”
    と同じような作品が、過去他にもあった。
     ”新剣豪伝”(中山義秀著) や「剣の四君子」(吉川英治著)
    がそれである。
    視点もストーリーも違うが「悲劇が生んだ抜刀術 林崎甚助」
    (小松多門著)や「山形の女・観佑と母」(最上太郎著)という本
    もある。

     林崎甚助重信に関し一番詳しく、多分正確だろうと思われる
    資料が「林崎明神と林崎甚助重信」という本がある。
     林崎明神がある山形県村上市の市長が理事長を務める
    (財)居合振武会が発行し林崎甚助公資料研究委員会が編纂
    したもので、地元だけに情報もしっかりしており、十章にわたり
    詳細に記述している。この本は、単なる彼の事績、略歴を書く
    だけでなく、その流儀の形を人型図で細かく紹介もしている。

     その中で不思議なのは、甚助は生涯妻を娶らなかったのに
    その後裔が米沢市に八家、林崎村出身で甚助の名を継いで
    いる菊池家、宮城県古川市にも林崎家の子孫が存在する。
    実子でなくても養子や母の親戚か周囲が林崎甚助の事績を
    残すためにとった処置醸してないが、同資料は言及してない。
    (非業の死を遂げた父は京都出身とされており関連無さそう)

     ところで、甚助が仇討に使ったとされる信国の長太刀は本人
    から林崎明神に奉納された。
     初代信国は建武中興時代京都五条坊門堀川の在で、正宗
    晩年の弟子で、来光重の子といわれる)。柄長8寸(24.3僉法
    刃渡り2尺9寸6厘(90.8僉法反りは1寸4分(4.2僉法
     父が足利十二代将軍義晴に仕えていたときの差料で、非業
    の死を遂げた形見となった伝家の宝刀。
     しかし、お告げにより甚助が仇討のとき携えていった木刀は
    柄長1尺8寸(32.7僉法⊃賄呂蝪骸棕契(112.1僉砲世辰燭
    いわれる。

    ところが、現在同明神に飾られているのはそのものではない。
     林崎明神が支援者、奉納者の減少により立ち行かなくなり、
    神職が没落。ついに社寶を切り売りして生活費に充てるうち、
    甚助の太刀も遂に人手に渡たり、行方不明となってしまった。
     
     その後有志により現在の太刀が奉納され、今に至っている
    とのことだが、どこかの蔵の中か、好事家の所蔵としてしまい
    込まれているのか、海外に流失しまったのか?
     いずれにしても、有意の方に探されるか、秘蔵されている方
    がそれと気づいて名乗り出、出来れば返納?せめて然るべき
    施設で展示されるとうれしいのだが・・・・・

    | - | 16:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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