CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< November 2018 >>
ARCHIVES
RECOMMEND
真伝無外流居合兵道―塩川寶祥の武芸極意書
真伝無外流居合兵道―塩川寶祥の武芸極意書 (JUGEMレビュー »)
塩川 寶祥照成,岡崎 寶祥寛人,無外流居合道連盟
MOBILE
qrcode
<< 忍者、忍術って スゴイ! | main | 抜刀術(居合の祖)林崎甚助重信の真実 >>
抜刀術の祖、林崎甚助見えない?生涯
0
      林崎甚助重信は居合の祖と言われているが、当時は抜刀術。
    弟子の田宮平兵衛位になってから?と言った方が正しいかも
    しまれませんが・・・・
     林崎甚助といえば、私は「日本武芸小伝」、「日本剣豪列伝」、
    「日本の剣豪100選」、「人物日本剣豪伝」等々で略伝、小伝は
    知っているが、もう少し詳しく知りたいなとおもってていたら、先日
    林崎甚助主人公の小説”神速の剣”(近衛龍春著)を読んだ。

     山形は最上藩の支藩楯岡城の最上家に仕える両親、そして
    わずか6歳のとき役儀上の恨みから父浅野数馬重治を闇討ちに
    され、家禄を召し上げられてしまう。
     母の切なる願いで幼い民治丸(甚助の幼名)は父の仇討を宿命
    づけられ、8歳から情けで藩の兵法指南役東根刑部太夫から手ほ
    どきを受けながら苦闘の日々を過ごす。そして15歳で近くの林崎
    明神に百日参籠の日、祭神素戔嗚尊と思われる白髪の老人から
    長束、長刀の利を授けられ、研鑽努力の末17歳で、”抜刀術”を
    開眼する。
     そして18歳のとき仇討の旅に出る。途中信濃で夜討ちしてきた
    10数人の盗賊団をたった一人で切り殺すなど力を蓄え、諸国を
    遍歴の後、京都で時の13代将軍足利義輝や梟雄松永弾正の下
    に変名で仕えていた宿敵坂上主膳と遭遇、見事父の仇を討って
    帰郷する。そして帰参がかない楯岡最上藩の兵法指南役を仰せ
    つかる。そして長束、長尺の刀を林崎明神に奉納する。
    しかし武術修行の志止み難く、21歳のとき母の死を契機として職
    を辞し、漂泊の旅に出る。
     その後73歳のとき武州川越での消息を最後に塚原卜伝同様
    消息は雲の霞と消えてしまったというあらすじである。

     さて、ここからが本論となるのだが・・・。
     
    | - | 14:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
    コメント
    コメントする









    この記事のトラックバックURL
    http://blog.iai-mugairyu.com/trackback/1174805
    トラックバック