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宮本武蔵と 女
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     宮本武蔵への最初のアプローチは吉川英治の小説「宮本武蔵」
    の方が多いと思う。
    その中で”お通”の切ないまでの恋心を武道にストイックに生きん
    がために拒み続ける武蔵にイライラされたファンも多かったと思い
    ます。しかも生涯独身で通し、武術に女や家庭は百害あって一理
    なしと孤高に生き抜いた姿に感動された方もおられたでしょう。
    ところがどっこい、武蔵が妻帯はともかく、女に無縁であったのかと
    いうと史実はそうではないようです。

    吉川武蔵でも京の花魁吉野太夫との交流、絡みが描かれています
    が、武蔵が江戸に出てきてからも当時の花街”吉原”に入りびたり
    だったという記録があります。
     吉原は初代庄司甚右衛門が徳川家康の許可を得て開いた花街
    ですが、その孫が書き記した「異本洞房語園」という本の中に、
     「新町河合権左衛門といふし者の内(置屋か)に、雲井とて局の
    女郎(端女郎ともいい、遊郭最下級の女郎だが、広さ9尺、奥行き
    2間の小部屋(局)持ちで小さな庭があったという)あり。
    彼(その女郎)にその頃二刀流の達人宮本武蔵が逢馴(ん)で、同
    町の揚屋甚三郎が許へ通ひける」と書かれてある。

    更にその中には、「武蔵が指物は、
     (普通、旗指物等というように背負う旗飾りや髪に差す飾りを言う
      のだが、ここでは何をさすのかよく判らない)
    箆(へら)を二本打ち違えたり、雲井を頼み縮緬にて袋をぬはせ箆
    に掛け、青き筋、緞(どん)子(裏表に文様を織り込んだ繻子の絹
    織物)の栽付け(たっつけ)袴、又雲井が(の)紅鹿子の小袖を裏に
    付けたる黒繻子の陣羽織を着たる」
    とあり、結構お洒落でチャラチャラした感じがうかがえる。

    武蔵は、「独行道」の中で、 「物事に数寄好みなし」
     と恰好つけているが、この時代将軍の剣術指南にも採用されず、
    将軍の剣術指南役柳生宗矩と立会いを望んだが許されず、不遇
    でどうにもやりきれず無聊をかこち、女に溺れグレていた時期なの
    かもしれませんね。剣聖武蔵も並みの男と同じ時期があったんだ。
    | - | 11:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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